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ちゃんこ「若」倒産のウラ事情 若年層&女性客に飽きられて…

ちゃんこ「若」倒産のウラ事情 若年層&女性客に飽きられて…

2010年05月08日17時00分 / 提供:ZAKZAK夕刊フジ

 破竹の勢いで多店舗展開したものの、運営会社が経営破綻してしまった花田勝氏(39)プロデュースの「Chanko Dining(ちゃんこダイニング)若」。専門家は「おいしかった」というが、「女性と若年層が常連客にならなかった」とも指摘する。業界関係者によると、「ちゃんこ店で本当においしいのは、誰も名前を知らない元力士の店」なのだという。

 「若」を運営していたドリームアーク(東京)は2002年7月に花田氏が設立し、会長に就任した。翌年3月、東京・六本木に1号店をオープン。座敷のイメージが強かったちゃんこ店にイスとテーブルを置き、照明を暗めにして、おしゃれな雰囲気を演出した。

 当時の同店を知る客は「テーブルに敷かれた紙が若乃花の手形だったが、相撲っぽい感じはそれぐらい。4人の子供がいる花田氏らしく、子連れも歓迎で、その点は良かった。一家3人で会計は1万円ぐらい。当時は高級店だった」と語る。

 新感覚の店舗は花田氏の知名度もあり、次々と支店を増やし、最盛期には国内28店舗、韓国1店舗の計29店に拡大した。

 関西地方の「若」に勤務していた男性は「大阪北新地に出店した2004年から2年ほどが絶頂期。野球選手やお笑い芸人もよく来ていた。マスコミへの露出も多く、お客もひっきりなしだった」と往時を振り返る。だが「給与は固定制で、マネジャーでも月28万円ほど。1日12時間労働だった」といい、労働条件は過酷だったようだ。

 一方で、店舗急増による歪みも出ていた。「給与が店員によってバラバラ。同じ仕事なのに賃金格差が激しかった。看板メニューの『塩ちゃんこ』はブームの先駆けになったが、続くヒットメニューを考案できなかったのも痛かった」(前出の従業員)

 グルメコメンテーターの柳生九兵衛氏は「一言で言えば店舗展開を広げすぎた。年配客のイメージが強いジャンルで若年層や女性をターゲットにしたのは新しい試みだったが、一回りしたところで飽きられてしまった。1000円前後の食べ放題ランチはお客さん目線で悪くなかったが…」と分析する。

 佐渡ケ嶽部屋の元力士で、ちゃんこ関係の著書が多い琴剣淳弥氏は「私も『若』に行ったが、これがちゃんこなのかと思ってしまった」と厳しい評価だ。「長く続けるには味が大切。番付を配ったり、店に力士を呼んだりとお客を飽きさせない工夫も必要。名義貸しだけの店は、すぐになくなる」という。

 かつては元大関小錦や元関脇水戸泉の名前を使った店もあったが、現在は存在しない。一方で元関脇寺尾(錣山親方)や元大関霧島(陸奥親方)の店は繁盛している。

 琴剣氏は「部屋で長くちゃんこ長を務めた人ほど良い味になる。巡業で全国各地を回るので、土地の味も覚える。ただ、その力士も昇進するとちゃんこ長から外れる。だから、名前の知られていない元力士が厨房に立つ店のほうがおいしいのです」と言う。ちゃんこの世界は番付では決まらないようだ。